食に無関心な人、多くないですか?〜「いただきます」の重みが、薄れていくようで切ない〜

食に無関心な人、多くないですか?〜「いただきます」の重みが、薄れていくようで切ない〜

 

「栄養が取れれば良い」
「簡単に済ませられたら十分」
「美味しければそれでOK」
「食にこだわりとか、特にないかな」

 

ふとした会話の中で、そんな言葉を耳にして、驚きとともに、どこか寂しさを感じました。

私は元々、「食べることが大好き」で、栄養士という道を選びました。保育園や高齢者施設での栄養士、フードコーディネーター、健康食品の開発など、職場が変わってもずっと「食」とともに人生を歩んできた実感があります。

だからこそ、当たり前のように「食」への関心を持って生きてきましたし、SNSでつながっている人たちも、自然と同じような価値観の方が多くて——。正直、「みんな食の大切さに興味がある」と勘違いしていました。

でも実際は、そうではない人も多いんですよね。
「便利で美味しければそれでいい」
そんな価値観が、今の日本では主流になりつつあるのかもしれません。

 

 

なぜ「食」が軽く扱われるようになったのか?

 

私が思うのは、やはり戦後の食の欧米化と、生活の“便利さ”の進行です。

・コンビニやファミレスで、24時間いつでも温かい食事が手に入る
・お惣菜や冷凍食品が安価で手軽に買える
・スマホ片手に、数分で栄養を「摂取」できる時代

たしかに、忙しい毎日を支えてくれるありがたい存在ではあります。でも、「いただく」という行為の意味や、食材の背景にある自然の恵みや生産者の想いに、目を向ける機会は確実に減っていると感じます。

 

 

一番怖いのは、“無関心”ということ

 

今の時代、自分の「好き」や「興味のあること」にばかり目が向きがちです。
SNSやYouTube、ニュースアプリも、私たちの関心に合わせて情報をレコメンドしてくれる——それは便利で、心地よく、効率的。
でも、それ以外のことに興味を持とうともしなくなる
気づけば、「食」に限らず、知らないことには触れず、考えもせず、何も行動を起こさない。
私はこの“無関心”こそが、今いちばん怖いと感じています。

食品添加物、農薬、遺伝子組換え、ゲノム編集……
食べものの質が知らないうちに変わり続けているのに、気にする人はほんの一握り。
関心がないということは、それらを選ぶ人が増え、需要が高まり、さらに大量生産・大量消費が進んでいくということです。

本当にそれでいいのか?
それで未来の子どもたちに、誇れる「食の環境」が残せるのか?
私は不安でなりません。

 

 

食べものは「命のバトン」

 

食べものって、本来はただの栄養ではなく、
いのちをつなぐバトンだと思うんです。

農家さんが丁寧に育てた野菜。
海や山、田畑の自然の恵み。
それを調理して、食卓に運んでくれる誰かがいて、
それを私たちが「いただく」。

そのすべてがつながって、
私たちの身体の細胞が、日々生まれ変わっていく。
それが、今の自分の健康をつくり、将来の身体を形づくる。

病気になってから「食の大切さ」に気づく人も多いけれど、
本当に必要なのは、まだ健康な今だからこそ、
「食べること」に向き合ってほしいということ。

 

 

若い世代こそ「食」の力を知ってほしい

 

とくに気になっているのが、
子どもや20〜30代の若年層の食への無関心です。

偏食、欠食、ジャンク中心、食事時間の短さ……
身体の基礎を作るこの時期にこそ、食の大切さを知ってほしい。
将来、心と体の健やかさを支えるのは、日々の何気ない一口一口です。

私は今、とても強く思っています。
「食べること」は、未来への自己投資だって。

 

 

さいごに

 

年中スーパーに並ぶ色とりどりの野菜も、
何気なく口にするおにぎりや味噌汁も、
当たり前のように見えて、実は奇跡の連続です。

「いただきます」「ごちそうさま」の言葉の意味を、
今一度、心に感じながら食べてみてほしい。
そして、“食べること”にもう少し関心を持つ人が増えたら、
きっと日本の未来も、もう少し健やかであたたかいものになるのではないか
と信じています。

 

 

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