この5年で、親友を2人、がんで見送りました。

この5年で、親友を2人、がんで見送りました。

この5年で、親友を2人、がんで見送りました。

 

私は昔から、大勢でわいわいするのがちょっと苦手でした。 学生の頃も、少人数でゆっくり話す方が性に合っていて、友達の数はそんなに多くなかったけれど、なんでも話せる“親友”と呼べる人が数人いました。

その中のふたりを、この5年の間に、がんで亡くしました。

ひとりは2020年の春。もうひとりは2022年の初夏。 どちらもまだ30代で、小さな子どもを育てている真っ最中でした。

春が来るたび、桜が咲くたび、ふと思い出す彼女たち。 今回は、ふたりのこと、そして私が受け取った“命のバトン”について、言葉にしてみようと思います。

 


委託給食会社で出会った親友Cのこと

 

2020年3月。 忘れもしない、コロナで世の中がざわざわし始めた頃。 ある平日の朝7時ごろ、仕事の準備をしていたら電話が鳴りました。

電話の主は、委託給食会社で一緒に働いていた3つ下の親友Cのお姉さん。私と同じ年齢の方です。

「Cが亡くなりました」

そう告げられた瞬間、頭が真っ白になりました。

実は彼女が2年ほど前から闘病していたことは知っていました。 入退院を繰り返しながら、LINEでちょこちょこやりとりしては、近況を聞いたり、エールを送ったりしていたんです。

病名は聞かされてなかったけど、無菌室に入ったり、点滴だけで栄養を摂っていたり…深刻な状況なんだろうな、って。

お姉さんと相談して、何かできないか考えて、お金と手紙を託したら、すごく喜んでくれました。

一時は回復の兆しもあって、退院もできて、体力も少し戻ってきた頃。 誕生日に連絡したら、「来月会おう」って話になって、久々に再会できることに。

彼女は姫路、私は大阪市内に住んでいたので、ちょうど真ん中の三宮で会おうと決めました。 「病院行く時も三宮まで出てるから大丈夫。入院中、おしゃれカフェばっかり見てたから、行きたいお店があるんだ」って。

当日は、体力が心配だったから「無理しないでね」って何度も伝えたけど、待ち合わせに来た彼女は笑顔で駆け寄ってきてくれて、昔のままの元気そうな姿でした。

だけど、どこか少し痩せていて… 今思えば、無理してたのかもしれません。

おしゃれカフェでランチして、スイーツ食べて、写真撮って、他愛もない話をたくさんして、すごく楽しい1日になりました。

でも、それが彼女と過ごした最後の日になりました。

2ヶ月後、再び長期入院に入ると連絡が。 「暇だけど、スマホであゆちゃんのインスタ見て元気もらってるよ」って言ってくれて、「がんばって更新するから、待っててね」って返しました。

その4ヶ月後、「まだしんどいけど、春には退院できるかも」と聞き、お見舞いに行きたいと伝えたら、「厳重な部屋だから、一般病棟のお部屋に移ったらぜひ来て!」って。

「うれしい!ありがとう💕」ってLINEが届いて、またすぐ連絡来ると信じてた。

でも、次の連絡はお姉さんからの、訃報の電話でした。

涙が止まらなくて、仕事も手につかなくて。 お通夜は家族葬と聞いていたけど、後輩や上司が「行ってきたら?」と背中を押してくれて、急いで姫路へ。

最期に会えた彼女は、痩せこけてアザや出血痕もあって、壮絶な闘病をしていたことが見てわかりました。

お葬式にも参列できて、ちゃんと見送ることができたのがせめてもの救いでした。

病名は「白血病」。 骨髄移植をして一度はよくなったけど、再発して帰らぬ人になってしまいました。

彼女には幼い子どもが2人いました。 妊娠中も切迫早産や帝王切開で大変だったって聞いてて、二人目の出産後に病気が見つかったそうです。

 


小学校3年からの親友Rのこと

 

もう一人の親友Rが亡くなったのは、2022年5月。

彼女とは小3から中学まで同じ学校で、地元を離れても帰省のたびに会う仲でした。

2020年に結婚して、妊娠したと報告を受けました。 だけどその頃はコロナ禍で帰省できず…会えないまま時が過ぎていって。

その後、「妊娠高血圧の影響で心臓が悪い」と聞いて、Cのことも重なってすごく心配になって。

でも1ヶ月後には「よくなったよ」と言われて、少し安心していました。

1年ぶりに帰省しようとしたとき、久々に連絡を取ったら「また病気になっちゃった」と。

「会えたら会いたい」と言ってくれてたけど、そこから連絡がなくて。 年末に改めて連絡しても反応がなくて、電話しても出なくて。

ずっとモヤモヤしたまま過ごしていたら、2022年4月末に突然電話が。

彼女が言ったのは、「あと余命1年なんやん」

私はその場で泣き崩れました。

出産後に腹水が溜まって、おかしいなと病院に行ったら、胃がんの末期だとわかったそうです。 スマホのギガが止まってて、連絡ができなかったと謝ってくれました。

すぐに「帰省するから、会えないかな?」と聞くと、「体調次第だけど、家に来てくれるなら…」と返事が。

でも、会う予定の前日に体調が急変して入院。 そのまま連絡が取れなくなってしまいました。

1週間ほどして、旦那さんが私の実家を訪ねてきて、母を通じて訃報が伝えられました。

予定よりずっと早すぎる旅立ち。

その後すぐに地元へ戻り、お通夜に参列しました。

彼女は、別人のように痩せていて、病気との壮絶な闘いが感じられました。

お葬式の朝、思い出の場所を1時間ほど歩いてまわって、少しだけ心が落ち着きました。

無邪気に駆け回る彼女の子どもたちの姿が、また辛くて。 「懐いてくれなくて悲しい」って言ってた彼女の気持ちを思い出して、涙が止まりませんでした。

もっと一緒にいたかっただろうな。 もっと、子どもたちのそばで生きたかったんだろうなって。

 


命のバトンを受け取って

 

ふたりの親友は、どちらも小さな子どもを残して、がんで亡くなりました。

若すぎる死。

この出来事がきっかけで、私はより健康について意識するようになりました。

どうすれば、同じような想いをする人が減るだろう? どうすれば、未来ある命を守れるだろう?

その答えのひとつが、「食」でした。

 


はぐなちゅらの原点

 

私がはぐなちゅらで「日本の食の質を底上げする」と掲げているのは、このふたりの存在があったからです。

私は医者じゃないし、大きなことはできないかもしれません。

でも、日々の食卓に「からだにやさしい食」を届けることはできる。

自然の力を活かした食で、農業を守り、自然を守り、そして自分たちの健康も守っていく。

そんな循環をつくっていきたい。

これが、私が受け取った“命のバトン”なんです。


「食べることは、生きること。」

ふたりの親友が教えてくれたその言葉の重みを、私は一生忘れません。

そして今日もまた、誰かの小さな健康を支えられるように。 食を通して、命と向き合い続けたいと思っています。

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